雪が似合うヒト |
おさない時分は博徒・任侠・渡世人ものとかはニガテなほうだったが、おばあさんと一緒に観てたし、その手の映画のオンエアの多かったこと・多かったこと。
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ゆうべの7時ころ、あちこちのチャンネルを見てた。NHKでは晋ちゃんのマタマタ・ソレッポイウソデ・カタメテミマ・SHOWを流してたが、民放はサッカーや野球の中継で、解散の「か」の字さえも無縁なアツアツ状態であった。NHKにもどせば7時のニュースを延長し、健さんが逝ったという報道を何パートかにわけて伝えておった。
初七日明けで昨日の発表だったのだろうな…政治屋のヤクザな三本の矢を憂い、カタギの健さんがキワに一矢報いた・放ったかよな…なんかそんな、見事にバッティングしたタイミングであったわな。
『八甲田山』のハードな内容にはカナリの衝撃を受けた。そのころはロードムービーという言葉などなかったが『幸福の黄色いハンカチ』にも不思議な感動をもらった。薬師丸ひろ子をおぶったポスターの『野性の証明』は、ワタシがヘラヘラ・ノホホンとしてる陰で、こんな人がホントにお国を護ってくれていたりしてたらな…などと。
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むかし映画は、その時代時代、問うべきテーマや、求められるヒーローが、如実に浮き彫りにされてた…現実にはかなわん…だから映画(フィクション)として現われてはタノシマセたり・セットクしてくれた…その顕著な代名詞、” 夢 ”。…むかしよく聞いた…『映画には夢がある』と。
「おとこのなかのおとこ」…とか言われてきたが、本名のヒト・イチ個人とはズレがあるはず…だが、最後までわれわれにそー思わせ続けることができたということは、役者として・俳優として・虚像表現者として、そしてそれを背負った宿命の人として、成功・全うしたのだろうな。…で、一緒に仕事に携わってきたアマタのスタッフこそ、ともに”健さん”をつくりあげてきたのであるからして、けっしてひとりではムリなのだ。
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健さんは、雪がよく似合う。
冬はみな、ニンゲンもドーブツもショクブツも耐える。あたたかい光と季節がやってくるのを耐えて、待つ…
しかめつづけてた顔が、ラストはやわらぎ、われわれに安堵の笑顔を見せてくれそな…そんな健さんを期待するように、待つ。
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去年、この町には12月11日未明~12日早朝にかけて初雪が降った。今年はいつになるだろうか…
そしたらまた、雪が似合うヒトを想い出すんだろな。
すぐ出てきた作品はこれくらい。